服を売る

服を売ることは他と同じだと考えるのであればそれは極めて早計である。

服を売る、これがいかなる事象であるかをまず考える。

 

主語はだれなのか?
まずは服を作成した人だとしよう。
すると、服を売る=服を処分するというのはおかしい話になってします。

 

本来、服を作成した人は、服を着てもらうために、
服を売るために作成しているのだ。
であれば、服を作成=服を売るというのが正しい判断ではないだろうか?

 

しかし、服を作成が、服を売るためにあるという考え方はこれまたおかしい。
例えば、世の中には、自分の子供に着させるための服を作成している人さえいる。

 

つまり、服を作成するのは、服を着てもらうため、というのが至極当然、不変の事ではないだろうか?服 買い取りだからこそ。服を着てもらうためではないのに、服を作るというのは狂としていて、おかしみさえ覚える。

 

博物館に飾るようなもの、超高級な着物などは、服を来てもらうために作ってはいないではないか!そう高々と発言する人はいるだろう。しかし、それは、服という概念が、人が来た時点で完成するものであると考えられるため、あれは服では無く鑑賞品展示品なのだ。置物である。

 

例えば、マントなどを想像すると至極わかりやすい。仮に、服を売るお店、ファッション店でマントが売っていたとしよう、そのお店の人にとってはそれは服である。しかし、とある購入者はそれを服としてではなくて、ひざ掛けやマットシートのような使い方をしているのだ。それは服とは言えるだろうか?大きな雑巾があったとしよう。雑巾は雑巾だ。しかしそれが人の頭を覆う、三角巾としての使い方をされたとすると、それはもう雑巾とは言えないのではないだろうか?

 

携帯電話。一昔前は、電話するものであった。時間がたつと、メールをするための物に代わり、今ではネットをするための物となった。体育館があったとしよう、昔はソコではスポーツや運動を動かすことにのみ使用されていた。しかし時代が進み、機材が入れられ、音楽のみに使用されるようになった。もうそれは体育館ではなくて、音楽堂と呼ばれるようになるだろう。和食店、洋食店、スペイン料理店、すべてはそのお店をどのように使っているかが決定の要因である。

 

服 売るという行為、これは服を処分するということなのだろうか?
全てはその人次第なのである。